オーラスのアガリ(目無しの麻雀)
オーラスで着順を上げることが不可能になった、あるいは困難な条件となった時、皆さんはどうしていますか?
これはルール(麻雀をする場)にもよると思います。
・フリー麻雀
・ネット麻雀
・セット麻雀
・完全順位制
・大会、リーグ戦
・大会、リーグ戦(公開対局)
・スタッフの麻雀
大きく使い分けがあり得るとすればこんなところでしょうか。
それぞれに対して取り得るアクションは
①点数状況を無視してフラットに一局に臨む
②点数状況を無視してフラットに一局に臨むが鳴かせたり放銃したり他家の順位を変えるアガリをしたりは避け気味に打つ
③点数状況を無視してボーナス(祝儀・焼鳥の回避など)の獲得を目指して一局に臨む
④極力高得点の手組みで押し切る
⑤極力高得点の手組みをするが鳴かせたり放銃したりは避ける
⑥極力高得点の手組みをするが鳴かせたり放銃したり他家の順位を変えるアガリをしたりは避ける
⑦ダントツの者に不利に打つ
⑧手牌の選択権を放棄する
他にもいろいろあるかもしれませんが、よく取られるアクションと、議論されたところを個人的に見たことのある選択は以上です。
それぞれのパターンについて順番に考察していきます。
⒈フリー麻雀・ネット麻雀・セット麻雀
これらの麻雀では、順位以外にも祝儀や焼鳥・飛びへのペナルティなどの成績に影響するものが設定されている場合が多く、素点だけでもポイントの増減があります。
それと同時に決勝戦や最終節といった終わりがありません。
なので、オーラスにどのような麻雀をしたとしても容認され得る理由があり、それは個人の自由です。
ただし、だからこそ、自身の麻雀観を押しつけることだけは、悪いことと言えるのではないでしょうか。
アガラスをした人に、「なんでそんな手アガったの?」と言ったり、オーラス局途中にかなり厳しいラス目の人に条件の話をしたり、
オーラスおとなしくしていた人に、「普通に打ってよ」と言ったり、「ラス目が牌を絞ったら下家の俺が不利になるじゃないか」と言ったりしてはいけないと思います。
また、成績を改善する方法があるにも関わらず、それを放棄する形で中立を保とうとする⑦・⑧は、このような麻雀の場では不愉快な印象を与えるかもしれません。
成績の改善が不可能な以下のケースでは⑦・⑧のような麻雀も正解になり得ると思います。
⒉完全順位制・大会・リーグ戦
これらは個人的にあまり経験がないので、体感的にどうなるのかはよくわからないのですが考えてみます。
完全順位制と大会・リーグ戦では、後者には決勝戦・最終節といった終わりがあり、前者にはそれがありません。
あくまで完全な最終ゲームのオーラスという前提で考えたいと思いますが、順位と素点以外に成績を左右するものが存在せず、素点を稼ぐことに意味がない状況という意味で、オーラス時点での本質は同じだと考えます。
ただ、終わりがある大会・リーグ戦の方が重みが大きいとは思いますので、目無しの人がゲームの結果を決定させる積極的なアクションは心理的に取りにくいと思います。
とはいえ、それでも、だからこそ、①〜⑧(③は無関係)どの選択を取ることも自由ではないでしょうか。
積極的なアクションを避ける②・⑤・⑥は中立な姿勢を体現しているという点で一つの正解だと思います。
一見利己的な①・④も、その結果アガろうとも、誰に何を鳴かれようとも、放銃することになろうとも、その過程で自分のスコアの為に牌を絞っても、降りたとしても、全うにゲームに参加してその局に起こるはずだったことをそのまま起こすという点で中立性があり、一つの正解だと思います。
⑦についてはピンと来ない方もいらっしゃると思いますが、これはある漫画のキャラクターの意見です。
この劇中ではオーラスに限った話ではないのですが、目無しの時にどのような麻雀をするかという考え方の点ではこういう意見もあり得るかと思います。共感できる人が多いかはわかりませんが、一理あるのではないでしょうか。
⑧は昨今で通りの良い言葉で言えば『オールツモ切り』ですね。過激な選択なので賛否両論あるようですが、打ち手の意思を介在させないというのは、限りなく平等で、これはこれで中立な姿勢の体現だと個人的には思います。
細かく考えてみましたが、結局視点を変えればどのような麻雀も正解になるので、どのような麻雀であっても容認され得る理由があり、それは個人の自由だと思います。
ただ、『同卓者の心象』という点で考えると、鳴かせない・放銃しないように打つことが、『同卓者の心象』を損なわないようにする選択かもしれません。
ゲームとしてこうあるべきという信念の下、①・④・⑧のような選択をしているのなら、それは『同卓者の心象』などとは関係なく悪いことだとは個人的には思いませんが、
人間はそんな仕方ないことであっても、不快感を感じてしまうということは事実なので、何が正解はともかく、その事実は気に留めておくべきかもしれません。
因みに個人的には、フリー麻雀・セット麻雀・ネット麻雀・完全順位制・大会・リーグ戦、どのオーラスであっても、①が良いと思ってます。
僕も常にそうしているわけではないですけどね(笑)
⒊大会、リーグ戦(公開対局)・スタッフの麻雀
基本的にはここまで書いてきた通りだと考えます。
どんな麻雀でも、ちゃんと理由があれば問題ないと思います。
ただ、公開対局・スタッフの麻雀が他と大きく違うのは、それがビジネスだということです。
公開対局の場合、僕の本音としては
たとえそれがビジネスで誰が何人観ていようが、麻雀をしているところを公開しているのだから、各々の麻雀観に従った麻雀を全うするべきだと、心から、本当に、強く、そう思います。
それでも、そこにビジネスとしての側面があるのならビジネスもまた、全うしなければならないのかなと思いました。
もちろん、そこに賃金が発生しているのかということや、麻雀をするというビジネスなら、その人の麻雀をやりきってこそはじめてビジネスとして成立するといった考えもあると思います。
その辺りは僕も意見が固まっていません。
対局に出るだけでは賃金が発生しないケースが少なくないことや、ニーズの細分化・棲み分けが出来ていないことといった麻雀業界の未熟さもその一端となっていると思います。
個人の麻雀観だけでは片付けられない複雑な問題を公開対局のケースでは孕んでいる、そんな微妙な案件だと思います。
これ以上の言及は倫理の幅が麻雀だけではきかなくなってしまい、僕が考えられる範疇を越えてしまうのでできませんが、非常に難しい問題なのではないでしょうか。
スタッフの麻雀はビジネスという側面を持ち出す時に取って付けたように出してみました。
雀荘店員の麻雀では、接客として『同卓者の心象』に最大限気を遣わないといかず、麻雀としてどうあるべきか、という今までの観点と変わってくるので複雑です。
卓構成の状況・お客さんの情報・自身の成績・手牌・場況などと考えるべき要素の組み合わせは本当に無限にあり、言及はできないので公開対局と列挙するに留めます。
ということで、今回はオーラスのアガリについて考えてみました。
こんな場があるよ、こんな選択もあるよ、それは間違っていると思うよ、
そういった意見があればお待ちしています。