麻雀の倫理

麻雀のグレーゾーンを考察

ウソ理牌

前置きを書いてから個人的にいろいろあり、テーマになりそうなことをメモだけしつつ過ごしていたら随分間が空いてしまいました。

問題提起の形を取ると書いていましたが、メモしたテーマを眺めていると『同卓者の心象』という基準にフォーカスすれば、ある程度の正解・不正解は出せる気がしてきました。

その辺りは僕が思ったことを書いていこう思います。

 

扱いたいと思うテーマはいろいろあるのですが、

まず今回考えてみたいことは『ウソ理牌』です。

 

わざとおかしな理牌をすることで、同卓者の読みを惑わせるという行為は果たして倫理的にどうなのでしょう?

たとえば、

 五五六 ②③④ ⑥⑦⑧ 23 88

のようなイーシャンテン

4をツモって五切りリーチをしました。

その後、すぐに4を以下のように手牌に入れました。

五4六 ②③④ ⑥⑦⑧ 23 88

入り目を欺くためにわざと無関係な場所に4を置きました。

これは駆け引き・テクニック?

それとも三味線でしょうか?

 

順番に観点を整理しましょう。

⒈ルール

 まず、正確に理牌をしなければならないというルールもマナーも通常ありません。

もちろん、手牌を倒した時には理牌されていなければそれはマナー違反でしょうし、

アガリの発声をしてから完全にバラバラの手牌を理牌し始めるのは、同卓者には不必要な間で余計な時間を取らせることになるので良くはないでしょう。

ですが、面子構成や待ちの形が問題なく確認できる程度に理牌されていれば、正確である必要はないと思いますし、

アガリの発声のあとに、イーシャンテンくらいから理牌せずに端に置いていた牌を手牌に入れたり、待ちを変える鳴きに備えて牌の並びを変えていたものを戻したりする程度なら、不必要というほどの間は裂かずに済むので問題はないと思います。

なので、正しい理牌がされていないことは問題ないと考えます。

 

2.同卓者の心象

 これは手出し位置の情報をキャッチしている場合とそうでない場合の2パターンがありますが、重要なのはキャッチしている場合なのでそのパターンで検証します。

まずリーチ者の牌の動きを見た時に推測できることは

『入り目が萬子だった』ということだけです。

これだけでははっきり言って確かなことは何もわかりません。

ただ、入り目が萬子で最終手出しが萬子となると、純粋な引っ付きテンパイの可能性が否定されるのと、

単純な萬子塔子の完成というパターンは少なくないので、

萬子は押しやすくはなるでしょう。

それでも、空切り・愚形の両面変化・五五七七八などの二度受け・単騎系多面張

といった萬子待ちの可能性自体は全く否定されないので、

同卓者が「萬子が埋まってテンパイ…ということは待ちは別の色か」と思うことはまずないと思われます。

とは言え、萬子待ちのパターンの代表格は潰されているので、萬子が押しやすくなってることには変わらず、理牌の情報を頼りに萬子を勝負する可能性は十分にあり得ます。

問題はそれで放銃した後です。(流局で手を開けた後も基本的に同じ)

リーチ者は手牌を開ける前に理牌をし直して、手牌を開けます。

その瞬間、放銃にしろ流局にしろ、萬子が入ってテンパイと思っていた同卓者は「騙された!」と思うでしょう。

その時の「騙された!」という印象は

・悪質なマナー違反だ

・相手の読みを逆手に取る巧みなトラップだ

のどちらでしょうか?

これは非常に微妙なところだと思います。

その場にいる人たちの間柄にも寄るでしょうし、

そのリーチ者の普段の言動・麻雀への姿勢でも変わるかもしれません。

しかし結局それを大きく左右するのは、それを受けた人の感性になると思います。

これを言ってしまうと身も蓋もなくなるのですが、これは現実です。

それでも、どうしようもなかったこと・不可抗力で同卓者を惑わせてしまったことに対して

「三味線だ!」というようでは、それは言いがかりです。

そこに同卓者に説明できる理由があれば、客観的な評価をそこに求めることができます。

同卓者に説明できる理由という点について、今回のケースはどうでしょう?

 

⒊リーチ者の意図

 嘘の理牌をしたこのリーチ者は、何の為に嘘の理牌をしたのか。

それは嘘の情報を与えて、相手を欺く為でした。

終局後、そのような意図を説明されて、納得しない人というのは、それが少数派か多数派かはわかりませんが、必ずいると思います。

納得はできても感心はしないという人は必ずいる、と言う方が良いでしょうか。

「えっ、それってどうなの?」って思われてしまう案件だとは思うんですよね。

どうしてルール上問題のない行為で同卓者のゲーム上のミスリードを誘っただけの行為が、そう捉えられてしまうのでしょうか?

ここからはかなり個人的な感性が入りますが、

『嘘の情報』を『与えて』『欺く』ということが悪意を感じさせるからだと思います。

『欺く』という表現は僕がそれを使っているだけなのでフェアではないかもしれませんが、

現象的には同じだとしても、

『嘘』から始まっている以上、『ミスリードを誘った』と言うよりは、『欺く』と言うべきで、この二つはやはり違うと思うのです。

麻雀では情報を『隠す』ことの方が多いです。

②④⑤⑥⑦をチーした後の形がバレることに備えて

⑥⑦④⑤②といった並びにしたり、

テンパイの入り目を終局まで端に置いたままにしたりといったようにです。

また、あえて情報を与える場合でも、それは『嘘』の情報ではなく、あくまで『事実』であることがほとんどです。

意図的にノーチャンスを作る為に大ミンカンをしたり他に使い道のある4枚目の牌を河に切ったり、

役牌暗刻のタンヤオ仕掛けをしている時に中張牌が待ちになった時、あえて么九牌を空切りしてみせたり、

リーチに現物の牌だけを切ってテンパイを維持しつつ降りてるように見せかけたり、

他家を降ろす為にノーテンでもリーチの無筋をツモ切りしたり、

というようなこれらの動作に『嘘』はありません。

このような『事実』の情報で同卓者を撹乱した時には『ミスリードを誘った』という表現が当てはまると思います。

・ゲーム上の動作である『事実』を使ったか

・ルールを利用した『嘘』を使ったか

リーチ者の意図の明暗を分けるのはここにあり、

そして今回のケースではリーチ者は『嘘』を使ったのです。

 

不誠実な印象のある『嘘』をゲーム上の動作に織り交ぜることで、同卓者に不愉快な思いをさせたり、不愉快とまでは言わずとも違和感を抱かせることはあると思います。

同卓者にそのような印象が与える可能性があることと、不誠実な『嘘』の動作を含んでいる『ウソ理牌』は倫理的に悪であると言っていいのではないでしょうか。

 

まあ、悪であるかどうかはともかくとして、

結論としては

ウソ理牌はしない方がいい

…ですよね。

 

もちろん、仲間内でそういうのも込みで楽しむ麻雀もあるでしょうし、

いろんな意味でそもそもそんなウソの理牌なんてする意味のないことも多いと思います。

基本的にはウソの理牌を思いつくことも、それが有効になる状況も、それが通用する場であることも考えればかなりのレアケースです。

ただ、倫理的にウソの理牌をするのってどうなのかなと思いついたので考えてみました。

正直書き始めた時と書き終えた後では、考え方も変わりました。

考えてみたら、漠然としていたことも視えてきたりもしますね。

もちろん、僕の考えたことが全てではないと思います。

誰かの違う意見を聞けば、そっちの方が正しいと僕も思い直すかもしれません。

もし何か意見がありましたらコメントしていただければ、意見交換したいと思います。

 

次は今(2017年4月)少し麻雀業界で話題になってることに関わる件で、

『オーラスのアガリ』について考えてみます。