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麻雀の倫理

麻雀のグレーゾーンを考察

はじめに

閲覧ありがとうございます。

このブログは、麻雀のゲーム上のモラルについて考えていくブログです。

麻雀はゲームの進行だけでも複雑でアナログです。

牌を取る場所を間違えてしまったり、発声のタイミングが微妙になってしまったりと、トラブルが付いて回ります。

もしそういったトラブルが起こったら、その場を監督する人に判断してもらわなければなりません。

ルールやゲームの進行に関することでしたら、監督者が判断してくれるでしょう。

しかし、論理的に判断しきれないグレーなことも麻雀では多々起こります。

それはプレイヤーのモラル(道徳・倫理観)に委ねられていることです。

例えば、牌山に積まれた牌を自分以外のある人がこぼしてしまいました。仮に五萬だったとしましょう。この時点でそこに五萬があることは共通の認識となります。その状況の中、以下の内モラルに反すると思うものはいくつありますか?

 

①その五萬が自分のツモ筋でなかった(ツモ筋かどうか特に確認せず)ので、五萬が一枚少ないことを塔子選択の参考にした

②その五萬が自分のツモ筋であることを確認し、場に安い色の両面を払い、嵌五萬を残した

③ソウズの混一をやっていると思っていた人にその五萬が入り手出しだったので、打ち切れなかったソウズを切った

④その五萬をツモる一巡前に待ち選択の無い二-五-八萬待ちでテンパイし即リーを打った

⑤その五萬をツモる数巡前にテンパイし、6面張と五萬単騎の選択で五萬単騎を選んでダマにし、その五萬をツモる一巡前にツモ切りリーチをした

 

人それぞれでモラルに反することに該当するものと数は違うと思います。

僕は②と⑤はダメだと感じる者です。

周りにバレるとかバレないの問題ではなく、露骨に自然ではない選択をしたから、というのがその理由です。

ですが、ここが微妙なところで、③だって本来切らないハズの牌を切っているという点では、自然ではない選択をしています。それを良しとする理由としては、そこに五萬があることを記憶し、その五萬の行方を観察した結果の判断なので、それも"雀力"の内であるという感覚です。

しかしそう言うなら、②と⑤だって雀力によって可能としたこととなるので、真っ当な選択とも言えます。

ただ、モラルという以上、論理的な妥当性だけでなく、「同卓者の心象」も考える上では無視できません………

 

………というように、対人ゲームである麻雀には、非常に微妙な要素が多数存在します。

上記のテーマは分類すれば『見せ牌』になりますが、これはまた見せ牌について記事として書く時に、別の状況や牌山以外の見せ牌のパターンも合わせて書きます。上の例であっても、牌をこぼしたのが自分だったとしたら、また話は変わってくるでしょう。

このような感じで、このブログでは麻雀で発生しうる道徳的なグレーゾーンを、論理的に倫理的な観点で考察していきます。